楽天NO.1営業マンがGMOペパボに転職した本当の理由!

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プロローグ

 

2013年21日に転職しまして、先月丸5年が経過いたしました。早いものですね。ちょうど1年前に34歳になったことで、ブログというものをようやく始めようと思い、今に至ります。

 

その際に最初は何を書こうかなと考えた時に、今まであまり細かくお伝えしたことがなかった楽天からペパボへの転職の理由を書き記してみようかなと思ったり思わなかったり。ただ出すタイミングを逃して今日を迎えました。

 

少し、いや結構な長文になってしまいそうな気がしますが、お時間が許す限りお付き合い頂ければ幸いでございます。

 

実は転職の一番の理由は「両親を養う」ことでした。他にも要因はありましたが、それはまた後ほど。先日楽天ヒルズ時代のことを書きましたが、その後のことを今回はお届けいたします。

 

激動の六本木ヒルズ時代!楽天大同窓会に参加して思ったこと、思い出したことのお話

 

 

最終面接

 

時は進み、201211月。1人の青年は東京にいました。株式会社paperboy&co.の面接を受けるためです。最終面接は佐藤健太郎社長でした。

 

以前は採用担当として最終面接に同席することもありましたが、やはりペパボの社風に合うか、ペパボのことに興味を持っているかを社長は面接時に見ているのだなと思っています。(あくまで私個人の見解です)

 

そんな中私は知り合いにペパボを紹介してもらったのですが、その時点で社名も知らず、サービスも全て聞いたことない、当然使ったこともない、そんな状況でした。

 

ペパボでは大切にして欲しい3つのことがあります。

 

  • みんなと仲良くすること
  • ファンを増やすこと
  • アウトプットすること

 

これすら言えず、サービスを何か知っていますか?使っていますか?に対してブクログを移動中に見て登録しただけで、さも昔から使っています風に答える有り様。よく見るTVありますか?の質問にはビジネスマンっぽく「カンブリア宮殿」ですと答え、結果は内定でした。

 

今でもよく面接通ったなと思います。後にこれが私のペパボで頑張ろうと思える大きい要素となることになります。

 

通常面接3回が主流だったところ、2回で内定を頂き即その場で転職を決めました。さて転職の理由を語る上で、私の父の話をしないといけません。

 

楽天勤務当時について

 

父は現在65歳。元々石川県金沢の出身で大学から大阪へ行き、就職してから母親と出会い、結婚。この母親の父親がなかなかの商売人だったようで、その会社を父親が継ぎました。

 

婦人服店の卸をしていて、ターゲットは裕福なご婦人でした。バブル時代含め調子が良い時はかなり続いたようで、私は幼少時代から裕福な生活を送らせてもらいました。

 

住まいは杉並区の浜田山という近くのマンションにキムタクや最近話題の貴乃花が住むという良い住宅街の一軒家でした。私が楽天に就職し4年が経ち業務にも慣れ、月間の営業販売金額は個人で1位でした。年間通してもずっと1位でした。

 

そんな時に父から会社を畳むという連絡がきました。あまり細かいことは聞きませんでしたが、杉並区の一軒家も売らないといけないというのを聞き、「ああ、そうか。あの実家がなくなるのか」と思ったことは鮮明に覚えています。

 

母親曰く、浜田山の家がたまたま高く売れたので、会社の借金を返しても蓄えはまだあるということでしたが、家を新しく借りるということとすぐには父親も仕事が決まらないだろうと思い、私は仕送りを決意しました。

 

当時は大阪の野田駅という場所になる42平米の1LDKに住んでいて、家賃は8万円(東京より大阪はやはり家賃安いですね)で、仕送りは10万円に決めました。

 

ここから仕送り生活が始まります。20代のサラリーマンが18万円の家賃の家に住むのと同じ訳で決して楽ではなかったですが、親孝行しようと思い実行しました。それから3年半が過ぎましたが、父親の仕事はまだ決まっていませんでした。

 

長い間、経営者をしていたので仕事を選び定職には就かない、自分でまた何かビジネスをやろうとしては断念する、という状況が続き収入が無い生活だったようです。

 

当然お金は使えば減っていくもので、いよいよ蓄えがないということを聞きました。そこで私はとにかく東京本社の会社に転職し、親と一緒に住み養おうと決めました。

 

忘れもしない201210月です。そんな直後に知り合いの方から、ペパボの方をご紹介頂き、ちょうど会社で初の営業マンを募集していると聞き、すぐに応募しました。

 

内定までは先ほどの流れです。まずは上司に辞めることを報告しようと思い、福岡出張で一緒になるタイミングで伝えました。

 

ただタイミングが悪いことに上司は私の昇進を掴みとってくれた直後のタイミングで嬉しそうにその報告を私にしてくれました。私はその報告の後に、辞めますと伝えました。上司の残念そうな顔は今でも忘れません。

 

その時の上司は、私が採用担当になった瞬間にペパボに来てくださいと口説き、今は隣に座って一緒に働いていることは後日談です。

 

その後は事業長との面談です。お前なんか知らない、もう出ていけ!と怒鳴られるくらいの覚悟をして臨みました。むしろその方が楽でした。

 

事業長は最初の5分ほどずっと俯いたまま沈黙でした。そしてようやく放たれた言葉は「なんでなんだよ」でした。最初は理由を聞かれた時は、スキルアップやチャレンジしたいなどその場しのぎの回答で何とか納得してもらおうとも思っていましたが、これは絶対誠実に真実をありのまま伝えようと思い、正直にお話しました。

 

家庭がそんな状況であれば、当然大阪支社から東京本社へ戻ってこいと言って頂けたのですが、私にはその時4名の後輩がいました。その後輩は私と同じく全員東京本社からの転勤です。

 

全員いつかは東京に戻りたいという話も聞いていたので、私だけ親の事情とはいえ後輩を残したまま本社に戻るというのはずるいなと思いその道は閉ざしました。

 

結果辞めることは受理され、有給はほぼ取らず「立つ鳥跡を濁さず」を何とか実践しようと最後まで丁寧に引き継ぎと対応を意識しました。

 

 

 

転職

 

そして201321日、ちょうど5年前にペパボに転職。正直なところ、入社前は「東京の会社に転職する」ことが目的で「ペパボで働く」ということがゴールではありませんでした。2年〜3年で次も考えようとすら思っていました。後にその気持ちは微塵もなくなりますが。

 

会社に1人だけスーツの営業マンという相当社風にも合っていない異色の男ということでかなり浮いていました。とにかく早く馴染む、認めてもらいたいと思いでむしゃらに働きました。

 

30歳になってからの両親との生活もずっと1人暮らしをしてきた身としては楽な部分もあり、気を遣う部分もありという感じでした。

 

住まいは東横線の大倉山駅。もちろん私が会社を辞める前から親が借りているので、なぜ大倉山にしたのかは詳しくは把握していませんでした。当然3人で住む部屋なので、安くはない家賃です。

 

何気ない友人、知人との会話で、「今どこに住んでいるの?」と聞かれ「横浜の方です」と答えると「もっと渋谷に近いところに住めば良いのに」とよく言われました。その度に「今親と住んでいるので」と答える私。

 

「実家良いな〜」「1人暮らししないの?」と言われますが、思い出の実家はすでに売られ、家の家賃は全額私が払っている、1人暮らしはしたくても出来ない。

 

説明するのも長くなるので、そうですね〜と返していましたがこのやり取りが胸をチクチク刺される感覚でした。早くこの状況から抜けたいと思っていました。

 

そんな生活も3年が過ぎると人間とは身勝手なもので、「俺が両親を養う!」と勝手に宣言し、頼まれてもいないのに実行したにも関わらず、心のどこかで「俺が養ってあげている、親にはもっと感謝して欲しいな」と思ってくる。その度に自己嫌悪に陥る。

 

まだまだ器が小さいですね。

 

そんな状況も2016年の初旬から好転します。父親が新しい仕事に就きました。毎日昼まで寝て、起きてはのんびりTVを観ていた父が毎朝7時に起きて休みは週1でもイキイキと働き始めました。

 

人にとって仕事というのは大事なのだと改めて感じました。そして私もずっと就職してから営業をしていたのですが、41日から採用担当になり、ガラッと業務内容が変わりました。

 

新卒採用の面接官もやらせて頂き、学生からペパボの良いところは?好きなところは?という質問に恥ずかしげもなくこんなに良い会社なのだと熱く語っている自分に少し驚きました。

 

そして中途採用でも同じくこんなに良い会社です、仲間になってくださいと話している自分がいます。最初は23年そこそこ頑張って次に行こうとすら思っていた男がすっかりペパボという会社を好きになっていました。

 

そして会社の顔として入社希望者の方と接する採用担当に社長は任命してくれました。会社のことも知らない、インターネット知識もない私を拾って頂いた恩を感じ、社長含めペパボに何とか恩返ししたいとさえ思うようになりました。

 

それだけ魅力のある会社だと強く思います。

 

2013年入社者直後の私と佐藤社長

 

 

2017年になり、両親は父親の田舎、石川県金沢へ移りおばあちゃんと一緒に住むことを決めました。私もそれに伴い、1人暮らしとなりました。改めて親に感謝し、これからは大きく羽ばたいていきたいと思います。

 

以上、先日35歳になった1人の男のお話でした。

長文お付き合い頂きまして有難うございました。

 

 

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